現在のメキシコを中心として栄えたアステカ文明の神話を紹介します。
同じ神に対して複数の神話があり、この記事に載せた話とは異なるストーリーも存在します。
アステカ文明が栄えたのはわずか100年ほどですが、アステカ以前から2500年以上に渡って続いてきた、メソアメリカ文明の流れを汲んでいます。
滅亡したのは約500年前で、最近まで古代の文化が生きていた地域といえます。
目次
1. アステカ文明とは
メキシコからユカタン半島にかけて栄えた文明を総称して、メソアメリカ文明といいます。
紀元前1200年頃に誕生したオルメカ文明に始まり、16世紀にスペイン人が入植するまで続きました。
アステカ文明は、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を中心に栄えた文明です。
ユカタン半島で栄えたマヤ文明と並び、メソアメリカ文明の終盤に当たります。
15世紀前半~16世紀にスペイン人に滅ぼされるまで、約100年に渡って存在しました。
2. テノチティトラン到達の神話
アステカ文明を生んだメシーカ人の祖先は、アストランという土地に住んでいました。
ある日、守護神ウィツィロポチトリの信託を得て、約束の地を目指して旅立つことになりました。
その地は「岩に生えたサボテンの上に、蛇をくわえた鷲が止まっている場所」であると、信託は告げました。
メシーカ人の祖先はアストランを出て、南に向かって長い旅を続けました。
そして100年に及ぶ旅の末、約束の地テノチティトランを見つけ、都を建設しました。
アステカとは、アストランを故郷にもつ人々のことを指します。
ただし、これは後から付けられた名前で、彼ら自身はメシーカと名乗っています。
メシーカは、現在の国名メキシコの由来にもなっています。
また、メキシコの国旗の中央には、蛇をくわえた鷲がサボテンに止まっている様子が描かれています。
ウィツィロポチトリは、戦争や生贄を捧げた太陽と結び付く男神です。
その母コアトリクエもまた、蛇のスカートを履き、生贄を求める恐ろしい女神でした。
あるとき、コアトリクエがコアテペック山の神殿をほうきで履いていると、空から羽根が落ちてきました。
その羽根を拾って胸元に入れておいたところ、ウィツィロポチトリを身籠りました。
ところで、コアトリクエには他にも子どもたちがいました。
コアトリクエの娘コヨルシャウキは、母親の不貞を疑い、その懐妊を恥と思って抹殺を企てました。
センツォン・イツナウア(400人の息子、コヨルシャウキの弟)も、コヨルシャウキの提言に乗り、コアトリクエに襲い掛かりました。
そのとき、ウィツィロポチトリは完全武装で母親の腹から飛び出しました。
そしてトルコ石でできた蛇(シウコアトル)を武器に、姉のコヨルシャウキを成敗し、コアテペック山の上から放り投げました。
さらにセンツォン・イツナウアの多くも討ち取りました。
この誕生の神話からもわかるとおり、ウィツィロポチトリは血生臭い神であり、アステカの生贄の風習と強く結び付いています。
16世紀以降、スペイン人宣教師からは最も嫌悪され、その信仰は根絶させられました。
3. 5つの太陽の神話
3-1. 滅んだ4つの太陽
アステカの創世神話は、創造神オメテオトルから始まります。
オメテオトルは二面性をもつ神で、両性具有の存在でした。
オメテオトルの生んだ子どもに、テスカトリポカ、ケツァルコアトルがいます。
テスカトリポカとケツァルコアトルによって、天空と大地、天の川が創られました。
テスカトリポカは『煙の立つ鏡』という意味です。
人々に富と繁栄をもたらす一方で、人々を罰することのできる神です。
マヤ文明ではハリケーンと同一視されました。
ケツァルコアトルは『美しい羽毛をもつ蛇』という意味です。
オルメカ文明からその原型が存在し、マヤ文明ではククルカンと呼ばれます。
豊穣にまつわる神で、金星の神ともされます。
テスカトリポカとケツァルコアトルは兄弟で争い、その闘争の結果によって次の時代がどのようになるかが決定されます。
アステカには、5つの太陽の神話があります。
現在は5番目の太陽の時代であり、これまでに4つの太陽が生まれ、滅ぶことを繰り返してきたとされています。
1番目の太陽は『土の太陽』で、テスカトリポカが支配しました。
やがてケツァルコアトルがテスカトリポカを追い落とし、ジャガーの群れによって世界は滅びました。
2番目の太陽は『風の太陽』で、ケツァルコアトルが支配しました。
しかし、ケツァルコアトルはテスカトリポカによって追われ、嵐によって世界は滅びました。
3番目の太陽は『火の太陽』で、雨と稲妻の神トラロックが支配しました。
この世界は、ケツァルコアトルが火の雨を降らせたことで滅びました。
4番目の太陽は『水の太陽』で、トラロックの妻である河川の女神チャルチウトリクエが支配しました。
この世界は大雨が降り、大洪水が起きたことで滅びました。
3-2. 現在の太陽の誕生
地上を照らす5番目の太陽を生むために、神々はテオティワカンに集まって相談しました。
テオティワカンはメキシコシティの北東に位置し、6世紀頃まで栄えたテオティワカン文明の中心地です。
有名な遺跡に、太陽と月のピラミッドがあります。
テオティワカンとは『神々の都』という意味です。
神々は焚火を囲んで話し合いました。
このとき、目立ちたがりのテクシステカトルという神が、「自分が明るい天体となって世界を照らす」と名乗りを上げました。
しかし、1人では荷が重いということで、ナナウアツィン(ナナウアトル)と2人で、焚火の中に飛び込んで太陽になることが決まりました。
ナナウアツィンとは『皮膚病を患う者』という意味で、謙虚で寡黙な神でした。
テクシステカトルが豪華な供物を捧げたのに対して、ナナウアツィンの供物はみすぼらしく、皮膚病で剥がれた自分のかさぶたを香として焚いていました。
ところが、いざ焚火に飛び込むときになると、先に飛び込むはずだったテクシステカトルは4回も怖気づいてしまいました。
そこで、ナナウアツィンが先に焚火に身を投じました。
やがて東の空に昇ってきた太陽は、ナナウアツィンでした。
ナナウアツィンが焚火に身を投じた後、怖気づいていたテクシステカトルも焚火に飛び込みました。
しかし、他の神々がテクシステカトルにウサギ(※あるいは灰ともいう)を投げ付けたために輝きが鈍り、月となりました。
満月になると、テクシステカトルの顔に付いたウサギの跡が見えるそうです。
現在も、この5番目の太陽の時代が続いています。
この時代は、地震によって滅ぶとされています。